1.渋谷の片隅にそびえる異形の建築物
渋谷駅から青山方面へ歩いて10分ほど。
カフェやセレクトショップが並ぶエリアに、不意に現れる異形の建築がある。ビルの合間からその姿をのぞかせるその建物は「青山製図専門学校一号館」。

建築・インテリアの専門学校だが、建築好きの間では「ガンダムビル」の愛称で知られている建物だ。
まさに巨大な装甲をまとったロボットのような外観は、通りかかる人を圧倒するような迫力を放っている。

これが本当に学校なのかと疑いたくなるほど異様である。
2.設計者・渡辺誠の野心と時代の狂気
この建物を設計したのは、建築家・渡辺誠だ。
彼は名だたる建築家の事務所で修行した後、1984年に独立して建築家としてのキャリアをスタートさせた。
そんな中1980年代後半に行われた国際コンペティションに勝利し、この建築は建てられた。1990年に完成した建物は彼の代表作となり、建築業界でも大きな話題となった。
時はバブルの狂騒がピークに達していた時代だ。ポストモダンと呼ばれる建築が流行していた時代でもあったが、この建築はそれらとも少し違う独自のデザインが特徴だ。

それは機能を起点として、必要なものが肥大し、暴走し、ついには制御不能なまでに「成長」してしまったような建築なのだ。
例えば赤いポールは避雷針としても機能する。
ただの飾りではなく、それぞれに役割がある。だがその役割を越えて、自ら意志を持ったかのように形態が肥大していく。これが、ただのポストモダン建築ではない所以だ。
3.無意味のようで意味のある、過剰の美学
この建築が持つ最大の魅力は、「意味があるようで意味がない」ではなく、「意味があるからこそ異常」だという点だ。
避雷針が必要だから立っているのではない。避雷針という役割が、まるで栄養素を得た植物のように肥大し、装飾のように変化していく。

無駄のように見えて、そこには意思がある。
そんな建築が許されたのは、バブルという時代の狂気と、設計者の鋭い感性が交錯した結果である。
そう考えると、この建築は機能と美学、秩序とカオスの狭間にある。
4.コンピュータ革命前夜のプロトタイプ
この建築がつくられた時代は90年代初頭。
この建築が完成した四半世紀後、建築の世界では「BIM(Building Information Modeling)」というコンピュータを使った技術が登場する。
渡辺氏の後年の代表作である飯田橋駅(2000年)などでは、より洗練された形で「成長する建築」が実現されていくが、この青山製図専門学校は、その発想の原点がむき出しのまま表現されてた場所である。

まだデジタル技術が成熟する前夜に、コンピュータ的発想で構築されたこの建築は、BIM時代のプロトタイプとも言える存在だ。
5.渋谷の裏路地に佇む記念碑的建築
バブルを知らない私の世代にとって、この建築はまるで遺跡のようだ。今では絶対に建てられない建築が、渋谷の片隅に静かに立っている。
現代的な商業ビルや再開発でつくられた街並みの谷間にそびえる「ガンダムビル」は、見れば見るほど異物である。

だが、その異物感はかつての日本の雰囲気をひしひしと伝えてくる。
中に入ることはできないが、ぜひ現地に足を運び、この記念碑的な建築を味わってみてほしい。
【青山製図専門学校一号館】
オススメ度:★★★
住所:東京都渋谷区鴬谷町7-9
アクセス:渋谷駅から徒歩約10分
予算目安:0円
※記事執筆時点での情報

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